
私が介護福祉士として勤めていた特別養護老人ホームに入所していたSさんは、90歳代という高齢で認知症状があります。背中が丸まって身体が硬く縮こま り、寝ているときも身体の痛みを訴えます。起き上がるのは食事のときぐらいで、車椅子で食堂に行きますが、すぐに部屋に戻って休むという毎日です。
そ んなSさんの表情が生きいきと輝くのは、自分の生まれた実家のことを話すとき。でも、生家に帰るのはかなわない夢だと思っているのです。

「死ぬまでに一度、家に帰りたい」。
そうつぶやくSさん。普通だったら無理と言われますが、「でも、 なんとか実現させてあげたい」という想いがつのっていきました。そして本人に内緒で、いろいろと検討を重ねたのです。
そうして、リハビリ 担当者と看護師と介護福祉士の3人がチームを組んでつきそい、リクライニング車椅子を使えば行けるのでは、という結論になったのです。「Sさん、生家に 行ってみたい?」「それは行きたいけれど、無理ですよ」「行けることに決まったのよ」「ホントですか!」
私たち介護職は家族にはなれないけれども、利用者の想いを実現してあげることはできるんです。
家に帰 ることができるとわかったときの表情ったら忘れられません。そして当日の朝、私は同行できませんでしたが、出発を見送りました。
その日 は、一日中Sさんのことが気にかかっていましたが、夜の20時過ぎにSさんが帰ってきました。少し疲れもあるようでしたが、顔がもう笑顔でクシャクシャ。 生家での様子を、途切れることなく語ってくれます。
久々に逢った懐かしい人に囲まれて楽しかったこと。食事は普段は刻み食で小食なのだけれど、寿 司を自分でつまんだこと。家族や近所の方も、とても喜んでくれたこと。話はいつまでも尽きません。
私たち介護職は家族にはなれないけれど も、利用者の想いを実現してあげることはできます。そして「生きていてよかった」という想いを抱いてもらうことはできます。「そんなことは不可能、無理」 と思うことからはじめるよりも、どうしたらできるのかを考えることが大事だと、そのときSさんのシワだらけのクシャクシャの笑顔を見ながら、そう思いまし たね。

田中佐季
・介護福祉士
「介護の仕事は、その人の人生の最後の何年かに関わる仕事。短いけれど、『生きててよかった』と 思ってもらえる時間をつくってあげることを心がけています」