コラム

作業療法士の仕事の魅力について

皆さんは入院したことはありますか?私は3回ほどあります。その3回は全て私が20代のときのことです。入院生活というのは、治療に専念できる非常に有難い時間ではあるのですが、私にとってとても退屈な時間でもありました。楽しみといったら3度の食事ぐらいでしたが、私の病状的に点滴生活だったり、食事といっても鼻からの流動食だったりして、もはや楽しみにする要素も無く、それはそれは1日の時間が長く感じられたものでした。20代は多忙な時期でもあったため、病院の中ですっかり「患者」と化して休めたことは、ある意味良かったのかもしれませんが、「患者」以外の自分を忘れてしまうような感覚は、どこか怖かったのを覚えています。

 

「病気と闘う」と表現すると、病気に対して攻撃しているような印象を持ちます。たしかに病気の種類によってはそういった側面が強いようにも思いますが、私が体験した入院生活はどちらかと言えば「攻撃」よりも「守り」のイメージでした。体調や生活リズムをきちんと管理し、ベッド上で横になって毎日休み、そうしているうちに、腫れや痛みが少しずつひいていく。病院内は落ち着いた雰囲気で、看護師さんたちは皆とても優しく、いかにも「守られている」という感覚を味わうことが出来ました。

 

さて、そんな入院生活から数年後、「笑顔の輪を広げたい」という想いから、私は作業療法士になりました。主に精神科の病院に勤務することになるのですが、手強い「精神病」たちを相手にして、臨床現場にはやはりしっかりと「守る」というイメージが基本にありました。患者さんの病状によっては、気持ちが不安定になっていたり、突発的な行動や周囲とのトラブルもあり得ますから、病院全体として安心感の提供とともにリスク管理も徹底されていました。

 

そのような中で、作業療法士はどちらかと言えば「攻め」の職種ではないかという想いが、私の中にはありました。リハビリテーションでは患者さんにあえて負荷をかけることはありますし、精神病の特性上、長期的に療養生活を送られている患者さんも多いため、ある程度の非日常的な刺激は必要だろうと考えていたためです。テニスやフットサルをすれば、転倒や怪我のリスクも伴います。しかし、得るものが大きいと判断されれば、(もちろんリスクを考慮した上で)そのような活動も作業療法士は選択することになります。

 

作業療法の一環で患者さんたちと共に外出したことも多々ありました。外出が難しい患者さんたちに対しては、病院内に小さな動物園を臨時開園したり、お馬さんに来てもらって中庭で乗馬をしたり、病棟内でプラネタリウム会を開催したり、巨大すごろくをしたり…。夏には敷地内で打ち上げ花火を上げたこともありました(その時は、ちょっと派手にやりすぎてしまいましたが・笑)。準備等で大変なこともありましたが、普段は見られないような患者さんたちの満面の笑顔が見られたときには、本当に頑張って良かったなぁと思ったものです。

 

作業療法で農作業をしたときの思い出話を少々。農作業の際には、10人ほどの患者さん共に病院のバスに乗って外出したのですが、その患者さんたちは皆さん長期入院中の方々でした。様々な原因からコミュニケーションが難しい方が多く、病棟内で大声を出してしまったり、問題となる行動がみられる方もいらっしゃいました。そのような背景のある方々でしたが、病院の周りには田畑も多いことから、元々農作業に馴染みのある患者さんが多く、畑に行くと私が患者さんから教わりながら仕事をするような状況でした。これは私にとって、あまりにも大きな体験でした。病院の中では私たち作業療法士は「先生」と呼ばれることもあります。その呼ばれ方が適切かどうかはともかく、患者さんからすれば「先生」という存在になることがあるのです。

 

しかし、畑に行くとどうでしょう。むしろ「先生」は入院中の患者さんたちの方で、私は「生徒」になって大根の種の撒き方や、ブロッコリーの収穫の仕方を教わるのです。私の被り慣れない麦わら帽子姿とは違い、先生方の麦わら帽子や長靴姿は、とても似合っていました。畑の先生たちは、言葉をうまく使えなかったりして、「あぁ」「うぅ」などと声を出しながら身振り手振りで丁寧にご指導くださいました。先生方は、病院内では絶対に手にすることの出来ない「鎌(かま)」や「鍬(くわ)」をとても上手に使いこなしていました。先生は一通りの畑仕事を終えると、夕日に向かって両手を上げ、満足感のある笑顔で「おぉーー」と雄たけびを上げていました。もちろん、病棟の中でそんなことをしては他の患者さんたちの迷惑になってしまうでしょう。しかし、広大な畑の中では、誰の迷惑にもなりません。夕日に浮かぶ畑の先生の背中を見て、私は「かっこいい」と思いました。

 

人それぞれの立ち位置は、本来は多面的で流動的なものだと思います。私自身も、「先生」だったり「生徒」だったり、あるいは「夫」「父親」「ご近所さん」だったり。自分の母親の前では私も「こども」ですし、兄の前では「弟」です。日々の生活の中では、「スポーツ観戦しながら熱くなる人」だったり「ドラ泣きする人」だったりすることもあります。このような多面性は、人生を楽しく彩ったり、豊かにするものではないかと思っています。

 

畑の先生たちは、10年以上入院されている方も珍しくありませんでした。そうした生活の中では、多面性を発揮することが難しく、「患者」という立ち位置に固定してしまいがちです。私だって、もし病気になって入院生活が続けば、どんどん患者らしく変容してしまい、やがて固定されてしまうかもしれません。そこで従順な患者を演じ続けることが出来ればまだ良いのかもしれませんが、病棟の中で不器用に大声を出して周りの迷惑となってしまう場面もあったりして…。

 

現代の医療ではお薬は欠かせません。私がもし大声を出して騒いでしまった場合には、お薬の力が必要になることもあるでしょう。しかし、作業療法にはお薬とはまた違った効力があります。作業は人の立ち位置を変えることが出来るのです。活動内容や環境を工夫することで、大声の意味を大きく変えることも出来ます。あ、そういえば、病院の敷地内で「大声大会」なるイベントを開催したことを思い出しました。ある患者さんは「犬が好きだ―!」と叫んで、周囲から大きな笑いと拍手をもらっていました。

 

私は作業療法を通して、沢山のことを学ばせて頂きました。リハビリテーションでは、訓練によるご本人の能力アップはもちろん大切です。しかし、場合によっては能力アップせずとも、作業を通して「障害者以外の顔」を存分に発揮して頂くことよって、結果的に「障害者の顔」が小さくなることも起こり得るのだと、私は理解しました。作業療法には可能性がたくさん詰まっています。楽しさや喜びもたくさん詰まっています。その方に寄り添い、その方がより健康的でいられるような柔軟なアプローチをご提供できることが、作業療法の大きな魅力だと、私は考えています。

 

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作業療法士科 4年制【高度専門士】

高校卒業以上

国家資格:作業療法士、幼稚園教諭

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